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溢れるルールの中で、立ち止まる
現場には、数えきれないほどの「ルール」や「マニュアル」が存在します。 安全のため、効率のため、あるいは組織のために決められた手順。
しかし、そのルールを完璧にこなそうとすればするほど、何かが指の隙間からこぼれ落ちていくような違和感を覚えたことはないでしょうか。
かつての僕は、その違和感の正体がわかりませんでした。
「決められた手順通りに、時間内に終わらせること」 それが正しい仕事であり、プロの姿だと信じ込んでいたからです。 ですが、マニュアルを厳格に守ることが、時に目の前の人を置き去りにしてしまう現実に直面したとき、僕は激しい葛藤に襲われました。
僕は一体、何を守ろうとしているのだろうか。
目的を見失った「正しさ」の正体
僕たちはいつの間にか、ルールを守ること自体が「目的」になっていないでしょうか。
手順通りにやれば、ミスは起きないかもしれません。 時間通りに終わらせれば、自分のタスクは消化できるかもしれません。 でも、それは「こちらの都合」でしかありません。
その「正しさ」は、本当に相手のためになっているのか。
迷い、立ち止まりそうになったとき、僕は自分の中に一つの明確な基準を打ち立てました。 それが、「使用者優先の原則」です。
マニュアルが右を指していても、目の前のサービスを利用する方が左を望み、それがその人の本当の利益になるのであれば、僕たちは柔軟に軌道修正をするべきではないか。 本当の正解は、教科書の中ではなく、常に「目の前の相手」が持っているのです。
霧を晴らす、魔法の問いかけ
困難な状況や、ルールの壁にぶつかったとき。 僕は一呼吸置いて、心の中でこう呟きます。
「これは、誰のため? 何のため?」
この問いを投げかけた瞬間、頭の中に立ち込めていた霧がスッと晴れていきます。 守るべきはマニュアルではなく、目の前の人の笑顔。 果たすべきはタスクの消化ではなく、その人の生活の「意味」を支えること。
使用者が変われば、正解の形も変わる。 それに気づけたとき、僕たちは「作業員」から、本物の「支援者」へと脱皮できるのだと思います。
あなたは今日、その行動を「誰のため、何のために」選択しますか?
次回予告:第3回「利他主義は『自分』を広げる」
「相手のために動く」と聞くと、どこか自己犠牲のようなニュアンスを感じるかもしれません。 自分の時間を削り、エネルギーを分け与える、我慢の行為なのだろうかと。
次回は、その「利他」という言葉のイメージを180度覆すお話をします。
他者のために一歩を踏み出すことは、義務でも犠牲でもない。 むしろ、僕自身の可能性と視野を爆発的に広げていく、最高にエキサイティングな挑戦であるという発見をお届けします。
「誰のため、何のために踏み出すか?」
5月29日(金)公開予定。 お楽しみに。